交流会開催のお知らせ:植村神指術治療院のご紹介(インタビュー)

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交流会のお知らせ=ナビゲーター:
コミュニティ共有くまもと植村修理事のご紹介(インタビュー)
2013年07月15日 02時56分31秒
テーマ:創造・共生

昨年から開催している、本会交流会のナビゲーター植村理事は、病んだ人の身体を癒すという神指術(筋肉)治療、治療師としての仕事傍ら、治療に訪れる方々の「心のケア」にも、長年真剣に取り組んでこられました。 その「心の手当て」には、ご自身が子供のころから精神的な悩みに苦しまれたことから、 長年独学で探求し続け得られた様々な生きる智恵が、真心と一緒に込められています。今回は植村理事の職業 「神指術」について、そしてご自身の「人生」経験について 、じっくりとお話いただきましたので、ここにご紹介させていただきます。


植村 修(神指術・治療師) 
植村神指術治療院 代表

しんしじゅつ
神指術(筋肉)治療とは
頭痛、腰痛、肘、膝等をはじめ、その他の身体的な疾患は血液の循環不良や神経のねじれ症状が原因でおこりやすくなります。その血液の流れや神経のねじれ症状を、元にもどしてあげることができれば、体調も次第に良くなってきます。この治療は、神が与えた術といわれ、神経系、免疫系、循環系に作用して、術後は温泉浴を体験したような心地よさを感じるでしょう。
~植村神指術(筋肉)治療院パンフレットより

死の恐怖とパニック症の経験 (著書:真実のパラダイム~より)
私は子供(小学校二年生)の時の祖母の死をきっかけに、ある日突然襲ってきた「死の恐怖」と、その延長線上の結果として起きた青年期の「パニック症」(不安神経症)がもたらす苦しみに悩んできました。

その年月は長く、その過程で起こった数々の悩みや苦しみに耐えながら、私なりに「どうしたら、この状態から抜け出せるのだろう?」 などと、いろいろ考えながらやってきた結果、 やっとのことでその問いに対しての納得ができる答えらしきものが見つかりましたので、平成17年に一冊の本を書かせていただくことにしました。

また、この中にも書いていますように、長い間煩悶しながら過ごしている中で、しだいに自分と同じような精神的悩みをお持ちの方から相談を受けることが増えていきました。パニック症やうつ病、時には、あるところにおたずねに行ったら悪霊がついていると言われて深く落ち込んだ方にも接する機会がありました。そんな方々の悩みに寄り添い、励ます体験を重ねる中で、人間の身体と生命、そして魂がどうしたら救われるのか、必死に答えを探していった…今思えばそんな感じです。

本を書くことになったのは…
ある時、「本を書きなさい」 という声が聞こえてきたから

本当の事を申しますと、この本を書くに当たっては、ある意味では人様には「絶対」に知られたくない私の過去の人生(あまりにも弱くて、情けなくて、ぶざまな姿)を、さらけ出さなければいけなかったので少し躊躇する思いがありました。

人様のお役に少しでも立てるように、自分が持っている治療の技術と精神世界の話を一生懸命させていただこう、という気持ちが固まっていたにもかかわらず、その気持ちは少し揺れていました。

そんなある時、私の耳に、「今までのあなたの身に起こったこと、そしてあなたがそれに対して考え思い、行動してきたことなどを包み隠さず素直にありのまま正直に書きなさい」 という声が届くようになりまして・・・実は、それがこの本を書き始めるきっかけだったのです。

でも、前もって一つだけ誤解がないように言わせていただきますと、この本に書いていることが絶対に正しいというわけではありません。これは、あくまでも私自身が独学で勉強してきた結果と、ある意味での天からの直感(インスピレーション)と、また、ある本に書いてあった「神」の言葉を基にして総合的に判断したものになっています。

その中で、「神」が言いますには、「これが私(神)に向かうためのただ一つの道ではない。私に向かう道はそれこそ数えきれないほどあるので、それを人々に伝える時には『これもその中の一つの道にしか過ぎない』ということを忘れないで伝えなさい」と釘を刺していますので、これだけは間違いなくお伝えさせていただきたいと思います。

写真も本の時と同じ感覚で
「今、撮りなさい」という声…そんな直感による連写でした

この本を書き上げ出版されたのは2005年3月でしたが、その後とても文章にし難いような出来事に次々と遭遇する日々が続きました。・・・というか「始まった」という感じですかね。自分の人生をさらけ出したとたんに周囲で様々な出来事が起こり始めました。非常に辛い出来事や、それはある意味、試練とも呼べるようことばかりが続いたんですね。今思うと浄化の期間だったわけですが…。そうして二年が過ぎた頃、ある出来事をきっかけとして自宅で不思議な体験が始まったのです。

それは2007年3月頃から始まりました。

2007/03/11-03/17

「今、カメラを向けなければならない」という強い衝動に襲われて、カメラを覗いてみると可視では認知できない美しい情景がその中に現れているのでした。なぜなのか…それは今もわかりませんが、非常に心地よい気分の時に、その直感(インスピレーション)がやってくることだけは確かなことでしたね。

2012年の新たな出会い、そして今、これから・・・

私は、長いこと精神世界のことに関する探求(追求)をしてきましたが、そのことに対しての答えというものはなかなか見つかりませんでした。それでも自分なりにどうにかして納得のいく答えが欲しいというその一念で、過去にはいろいろな宗教書を読み、道徳書や哲学書なども読みました。また、ある時には座禅や瞑想、それに滝に打たれる修業もやってみましたけれども、願いむなしく答えは見つかりませんでした。

しかし、この体験以来、私のもつ概念、価値観は大きく変わることになり、「天は私に何を伝えようとしているのか」、「ここに含まれるメッセージは何か?」、ということの答えを、色々と自分なりに考える日々でした。

その答え探しはまだまだ始まったばかりという感がありますが、昨年のはじめに緒方さんとの出会いがあり、共有くまもとの活動に少しでも何かお役に立てたら…という思いで賛同したしだいです。

人々は昔から、神と悪魔などという二極化した捉え方をしてきましたが、それがそもそも間違いの始まりだったということになります。この世には悪魔などいないのです。すべては、神の現れ、化身なのです。だからその中には何一つとして悪や邪心はありません。それらは皆、人間がつくりあげてきたものなのです。

そのことを『神との対話』の本の中で「神」はこう言っています。「この世のすべての在るものは、皆、私の体の一部分を使って創造したものである。もし、その中に、汚らしいもの、おぞましいもの、きもち悪いもの、不潔なものなどがあると言うならば、それをつくった私は一体どうなるのだ」……と。私は、この「神」の言葉で目が覚めた感じがしました。

その後も、私にとって大きな気づきを与えてくれた本との出会いがいくつもあり、私はその度ごとにとても大きく精神的に成長させてもらうことができました。その一冊が、インドラ・チョーハンという人が書いた『愛の言霊」(ダイアモンド社、1997)という本でした。この人は、幼少時代より未来予知・病気治療などの奇跡を行ってきたことから、インドの聖人と呼ばれた人です。

ここに心に残った言葉を紹介させていただきますが、願わくば、ここに書いてありますような 『人間をしている必要性』、その深い意味をもっともっと実感したいものです。そして、人間として、今、ここに生かされている喜びを、ひとりでも多くの方と分かち合って生きたい、心からそう願っています。

『愛の言霊」(ダイアモンド社、1997)より引用
信じられないほど嬉しいことがあると、人は奇跡という言葉を使いたがりますが、世の中には奇跡など存在しません。すべてはあらかじめプログラミングされています。神から見ればすべてが決まっていることなのです。それを淡々と執行しているにすぎません。あなたが奇跡と呼んで喜びあったことも『神も仏もあるものか』と悔しがったことも、すべて決まっていたことなのです。何も不思議がることもありません。

この世で生きている間中『ここでは成功する』『ここでは失敗する』とあらかじめわかるとしたら、あなたはどう考えますか。最初のうちは『これば便利だ』と考えるでしょう。成功を心待ちにすることは楽しいものです。

ところが失敗ともなると、どうでしょうか。失敗することが端からわかっていても、その失敗を止められないのです。 すべてがわかるということは、何も人間をしている必要はないということです。

世の中は計算通りに進まない。未来は誰にもわからない。だから、面白いのです。『これは奇跡だ』と叫ぶことができるのも、予測不能だからこそ言える喜びなのです。こだわりをもたない精神状態でいますと、成功も良し、失敗も良しという心境に達してきます。つまり未来を淡々と受け入れる心を育むことになるのです。

《 編集後記 》
「この世界には私たちが 知らないことが無限に広がっていて、 ただそれが見えないという状況にあるだけ、 どんな人にも無限の可能性、 未知なる可能性が開かれています。」 これは、植村先生のいつもの口癖で、お優しいお人柄をいつも感じさせられるお言葉です。
私たち現代人が心に描く目に見えない世界、 その解釈は人それぞれ千差万別ですが、 私たちはその「無限の世界」を、「人の心」そのものだと捉えています。
無限だからこそ違っていても分かち合える…
私たちは、交流会を通じてその喜びをひとりでも多くの方と共有できることを願っております。

2013年7月 取材執筆 緒方章江

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