阿蘇 国造神社

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由緒
延喜式神名帳に肥後国は四座が記されているが(健磐竜命神社・現阿蘇神社、阿蘇比咩神社・現阿蘇神社、国造神社、疋野神社)、その四座のうちの一座であり、熊本県内において、最も古い神社の一社である。肥後国誌によれば、崇神天皇の代に速瓶玉命が肥後国造に任命され、景行天皇18年(88年)に、国造神社を修造し祭典を整えたとある。父親である阿蘇神社の主祭神健磐龍命と共に阿蘇の地を開拓し、農耕・植林などを指導したとされる速瓶玉命(はやみかたまのみこと「国造本紀」によれば初代阿蘇国造)を主祭神とし、御妃、御子息の合わせて4柱の神を祀る。現在の社殿は、寛文12年(1672年)肥後熊本藩第3代藩主細川綱利によって造営された。明治5年県社に列した。鳥居の西60mの地点には、祭神の速瓶玉命の墓とされる上御倉古墳と、その妃の雨宮媛命の墓とされる下御倉古墳がある。これらの古墳は6世紀後半の横穴式石室をもつ円墳で、巨大な安山岩と阿蘇溶岩の切石で構成されており、熊本県を代表する巨石古墳である。

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