2010年9月1日
先日、スーパーに買い物に立ち寄った。
聞きなれた曲が、ふと耳に飛び込んできた。
それはオートリバースで、何度も何度も繰り返される、
日本人なら誰もが知ってるアンパンマンのテーマソング。
私が「アンパンマン」とであったのは21年前だった。
何で覚えているかというと、子供がおなかにいたからだ。
おなかがすいた子供に、自分の顔をちぎって
「これ食べて!」と自分の顔というか頭を、
・・・嬉しそうに・・・
ちぎって差し出す場面に大きなショックを受けた。
その後何日も、胸がいっぱいになって
アンパンマンのことを忘れられなくなった。
いつも耳になじんでいた「うた」であるが、
フルコーラスでは、あまり聞く機会はなかったものだ。
耳に飛び込んだ「うた」の歌詞に、
身体が固まるほど、売り場で聞き入ってしまった。
アンパンマンマーチには「今を生きる」哲学が込められていた。
この激動の時代をすでに見越して創られていたように思える。
みんなアンパンマンを見て育った。私たち大人でさえも。
親として教育された。テレビを見ながら。
悪さをする“バイキンマン”でさえ、
友達兼子分の“カビルンルン”がいたりして、
なぜか憎めなかった。
心の底では、後に仲良くなればいいな…なんて思ったり。
アンパンマンの優しさは、バイキンマンのワルさが存在するから
より光って見えたのかもしれない…と、
今となって、その真理に納得する。
~アンパンマンマーチ~
そうだ うれしいんだ いきるよろこび
たとえ むねのきずがいたんでも
なんのためにうまれて なにをしていきるのか
わからないままおわる そんなのはいやだ
いまをいきるこころ あついこころもえる
だからきみはゆくんだ どこへでも
そうだ うれしいんだ いきるよろこび
たとえ むねのきずが いたんでも
なにがきみのしあわせ なにをしてよろこぶ
わからないままおわる そんなのはいやだ
わすれないでゆめを こぼさないでなみだ
だからきみはとぶんだ どこまでも
そうだ おそれないで みんなのために
あいと ゆうきだけが ともだちさ
ときははやくすぎる ひかるほしはきえる
だからきみはいくんだ ほほえんで
そうだ うれしいんだ いきるよろこび
たとえ どんなてきがひそんでも
あ あ アンパンマン
やさしいきみは
いけ みんなのゆめ まもるため
人間の欲求を、アブラハム・マズローは説いている。
1、生理的欲求・・・生きるための最低限の欲求(食欲・睡眠)
2、安全の欲求・・・身の危険から抜け出したい欲求(経済的不安含む)
3、帰属の欲求・・・仲間に属したい欲求(家族・仲間への愛の欲求)
4、承認の欲求・・・自尊心の欲求(他から認められたい欲求)
5、自己実現の欲求・・・人間として自分の能力を活かして生きたい
(人の役に立ちたいという欲求)
1~4は、「不安」「恐怖心」がつきまとう。
5は難しい。しかし、せっかく生まれてきたのだから、
何が幸せで、何をして嬉しいのか、自分で自分をはっきり知って、
(5)を追求して“今”という“時”を刻みたいものだ。
人間で生きてるって、ほんとにありがたい。
ところで、
何回も「顔(頭)」を作ってくれる“ジャムおじさん”は、
やっぱ神さまかな?
2010年9月1日
ほんとうがいちばん開始日によせて