2021年4月17日
世間が忘れた頃であろう今になって敢えてこの話題に筆者なりに触れたいと思う。
今年一月に報じられた、神奈川県にある高校の野球部で行われた素手ノックでの練習だ。
この素手でノックを受けた当時一年生の部員が全治三週間のケガを負ったとされている。
「素手でノックをすること自体間違いではない」
「効果的な練習であることは確実だ」
などの意見は多方面から既に上がっているので、その辺りは割愛させていただくが、筆者も中学時代から硬式野球をしていたため、よくやったものだ。
ただ、このノックの打球の質が分からない以上議論にならない。
至近距離や強い打球のノックであれば話は変わってくるのだが、この練習をさせた47歳の監督も筆者と世代は違えど同じような練習をしてきた世代だろう。この監督の談話通り、「手のひらで捕球する感覚を養うためのそれなりの打球」だったと仮定しよう。
根本の問題から深堀りしていきたい。
グラブをしていようがしていなかろうが、捕り方ひとつ違うだけでケガは付き物。グラブをしていてもケガをする場合があるというのが筆者の考えだ。
逆に言えば、素手であっても正しい捕り方ができているのならケガなどしないのだ。
ましてやプロ野球の試合において、スタンドに入るファールボールやホームランボールを客が素手でキャッチして、無傷な上に周囲から拍手が起こることだってある。
監督は、その正しい捕り方を身に付けるためにこの練習方法を選択したのだろう。筆者もこの監督の選択に間違いはないと思っているひとりだ。
ただ、当時一年生部員の生徒がケガをしているのは事実。「不適切な指導だった」として監督は書類送検されているが、この問題の責任を書類送検と更迭という形で監督一人に背負わせていいものだろうか。
一年生とはいえ、近年高校生の野球レベルは段々と上がっている。筆者の頃に比べると相当な技術の差だろう。個人差はあるが、義務教育時代の指導方法に疑問を抱いた。

小中学校で一般的に使われる「軟式球」は世界で日本にしか存在しない。海外では少年野球時代から硬式球を使用する。何でも基礎を重んじる日本人独特の発想で軟式球は生まれたと筆者は勝手に解釈している。筆者は中学時代にリトルシニアで硬式球の世界に飛び込んだが、小学生・中学生でケガをするリスクの少ない軟式球で正しい基礎を身に付け高校で硬式球の世界で勝負する、日本の野球人口の多くはこのステップを踏むだろうと考える。仮にリトルリーグで少年野球時代から硬式球を扱っていたとしても、軟式球は誰もが通る道だ。
その小中学校時代に正しい捕球の仕方が身に付いていなかったためこの問題が起きたのではないか。
仮に軟式球であっても、素手で受けた場合は捕り方ひとつでケガをすることもあれば、軟式球でグラブをしていてもケガすることもある。
この生徒がケガを負ったことについての責任は、当事者の監督だけでなく、小中学校時代に指導していた指導者・保護者にもあると感じている。
昨今、あらゆる分野で勝利至上主義に否定的な意見が多い。その脱・勝利至上主義に真っ先にスポットが当たるのがスポーツの世界だ。勉学の分野こそ勝利至上主義の極みではないかと筆者は感じているのだが、勝利至上主義の何が悪いのか。確かに幼少期はそのスポーツ種目の楽しさを感じさせることは大切。何でもケガ無く楽しくが一番だ。
この問題に話を戻すと、ケガをする捕り方が身に付いていてプレーをということは、ミスをしてしまうリスクがある。確実な捕球ができずファンブルしてしまい、ひいてはそのミスが重大な失点に繋がってしまうこともあるだろう。だからここ一番の時のために何度も基礎を繰り返し練習するわけだ。
かつて最高の二遊間として名を馳せた元・中日ドラゴンズの「アライバコンビ」こと荒木・井端両選手でさえも基礎の練習に一番時間を割いていた。華やかなプレーで魅了したスーパースターでさえ、キャンプでは簡単な打球の処理を正しい捕り方を確認するように繰り返す。
その基礎の指導をきちんと行うことで勝利至上主義に繋がるが、その大事な部分を飛ばして勝利至上主義に走る指導者もいるものだから、それについては否定は致し方ない上に、子どもたちが可哀想だ。
だいぶ話が逸れつつあるので、この昨今の指導の是非については後日別の問題で投稿するとして、この素手ノック問題で気になったことがもう一つある。
この問題が起こった高校は甲子園出場経験もある強豪校。強豪校であろうとなかろうと、学生の部活動には指導者・保護者・生徒が三位一体となって信頼関係があるのが重要だ。この問題は監督が書類送検・更迭されるまでに至ったが、そうなるということは信頼関係が欠如していたと推測する。
筆者の経験談ばかりを引き合いに出してしまうのだが、筆者の高校時代、西武ライオンズのドラフト指名予定選手への裏金問題に端を発し、特待生制度を導入していた全国の高校野球部の部長が解任されるという事態が起こった。後に1ヶ月程度での復帰が決まったが、部長解任を告げられた時、まるで最後の夏が終わったかのような涙を流す生徒までいた。これは指導者・保護者・生徒の信頼関係を重んじる指導者の下、生徒たちもその指導者を信頼しきっていたからこその涙である。それはもちろん「こんなことするなんて」の涙ではなく、この部長の下で野球ができなくなるショックからくるものだ。
今回のこの問題については、簡単に書類送検と更迭で片が付いた。この迅速さからして何もアクションがなく処分されているため、よっぽど信頼関係が軽薄だったと推測せざるを得ない。
筆者の経験談と憶測ばかりを並べた記事になってしまった。ここまで推測するに至っていないことを願うが、これは憶測が独り歩きした筆者の屁理屈であると思っていただくと幸いである。

