草部吉見神社は、阿蘇神社の主神健盤龍命(一の宮)のお妃阿蘇津媛命(二の宮)の出自のお社で、古来、宮崎の鵜戸神宮、群馬の貫埼神社と並んで3大下り宮として著名である。その中で130段の厳格な数学的な下り階段を持つのは多分このお社だけであろう。御祭神は、阿蘇津媛命の父神・日子八井命(阿蘇神社の三宮)を主神として、阿蘇神社とほぼ同じ神々12座である。(中略)
阿蘇神社が〈表(陽)のお社〉に対して、草部吉見神社はその〈裏(陰)のお社〉ということになる。端的に結論を言えば、それが「下り宮」としてこのお社が築造されている「理由」である。
草部吉見神社の祭神は神武天皇の第一皇子の日子八井命である。
神武天皇六十九年乙亥秋八月五日筑紫日向国高千穂の峰より当草部の郷に来り給い。蛇住めりと言う吉の池の蛇を誅し宮居を定め給う。
此の時吉の池を埋め宮柱を立て、草をたばねて壁となされしより此の地方を草壁と称し後に草部と改める又、此所を「社宮宮床」(ここぞよきみやとこ)と宜り給いてより社号を吉見という。神武天皇の御東征(大和平定)にわ命により高千穂・阿蘇の開拓にあたられたという。
当社には、吉見神社高千穂神楽が伝承されている。-境内碑より