わたしは私が嫌いだった-私は世界が嫌いだった(吉野志津子著)

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情報中毒

“情報“というものは “知りたい病”のわたしには、おいしいごちそうでした。ご飯を食べるよりも本が読みたい。そんな時代もありました。手元には常に読みかけの本が数冊ありました。本屋さんの匂いも大好きです。

何にも知らないわたしだったからこそ知りたかったのですが、情報を知ることそのものは「どんなに掘っても、たどり着かない何か」のようで、どんどん深いところへと入っていきました。今のわたしが情報を知り尽くしたというわけではないですが、この世界の情報を、知れば知るほど、何となく、一定のパターンの繰り返しであることが見えてきました。

誰とも言えない悪い奴らがいて、その数はわずか地球人口の3パーセントくらいしかおらず、彼らは姿を現すことは決してせず、表に出ている人は操り人形です。実態が無いのです。こうしてリアルに手を繋げるわたしたちこそ実体なのです。

見えない陰に怯えているわたしたち。テレビという幻影に踊らされているわたしたち。わたしたちの思考を最大限に活用して彼らは未来を作ってきました。なぜなら彼らには地球での実態が無いからです。

今の地球の実態も実体のない彼らに誘導され、思い込まされてきたのです。
「わたしたち普通の人になんか、何にもできない。」
「ひとりの力なんて、ちっぽけなものだ。」
「わたしたちは自分じゃない誰かに生き方を教えて貰わないと何にも知らない。」
自分より凄い、偉い人がいて、自分よりも劣った人がいる、と思い込ませることで他人と競争させて戦わせることで、物質世界を進化させてきたのです。2023 年、もはや物質世界の発展には限界がありました。

それがある限界を超えると物理的に反転を起こすのです

進化は止まりませんが物質世界の拡大には限界があるのです。モノをみんなが享受したその日に、全ての価値が崩壊するのです。物質的価値を創造してきた現代の物質文明の終焉です。

ですから、現代社会を維持していこうとすることは、ひもじい人や貧しい人を、わたしたちが必要としている、ということになるのです。人との格差を楽しみたい人は、これからも、いわゆる“勝ち組”に入ろうとして頑張るのでしょう。そうして三次元的価値観をこれからも続けて行くことに、何の疑問も持たないことでしょう。

パラレルな現実が既に出現しています。全く真逆の価値観の人たちの共存です。違いを受け入れあい認め合う世界。好きとか嫌いとかはそれほど重要ではなく、ただただ認め合う世界です。

わたしはもう始めています。
「わたしとは真逆の価値観を持つ人たちとの共存」
“みんな違ってみんな良い

みんなのそのままを受け入れるということは、そんなに難しいことではありません。お互いに、ハレーションを起こさない適切な距離感で生きるということです。程よい距離感は大切です。殆どの人は本当に真面目で善良な人なのです。

ところが、その人がどんなに善良な人であっても、個々のタイミングや価値観は様々なので摩擦も生じます。異なる価値観だからといってその度に、人を排斥していったら、自分の周りには誰もいなくなってしまいます。好きも嫌いも感情が教えてくれますが、この感情の領域さえも進化することで愛しかない次元へと突入していきます。これこそが本来の、お母さんの心(母心)なのでしょう。

それは地球がわたしたちを愛してくれている愛であり、天がわたしたちを愛してくれている愛そのものです。それがつまり、いわゆる“神”の愛なのではないでしょうか?

わたしが大好きな本に「アナスタシア」(直日刊)というタイトルの本があります。アナスタシアはシベリアの奥地に自然とともに暮らす女性の名前です。そのアナスタシアとの出会いの物語を、ウラジーミル・メグレという男性が書いた本「アナスタシア」なのですが、その本の中の自然の生き物たちは、人間を文字通り養い育んでくれていました。

地球に愛されているからわたしたちはこうして存在し、生きて死んでいきます。どんな形であれ存在そのものが愛なのです。わたしたちは自然を遠ざけ、例えば地球の五元素である火を遠ざけて触れることさえもしないで生きるように仕向けられているように思えます。

10 年くらい前ですが焚火を見ていた時に、燃え上がる炎が地球の息吹に思えました。
「地球が火を噴いている。」と・・・。
今、キャンプやアウトドアが流行っているのは、人々が自然環境へと回帰しているからなのかもしれません。

陰謀論から見えてきた世の中のからくり

世の中には悪い奴らがいて、わたしたちのように「善良そうな一般国民」を困らせることが彼らの目的であり、何にも知らない「善良そうな国民」は騙されている。というのは、わたしの現在の考察です。

でもよく考えてみたら、その本当に悪い奴らこそ姿も見せず、実名も明かさず実体が本当にあるのかどうかさえ疑問なのです。でもわたしたちが現在進んでいる方向は、危なっかしくて黙ってはおられない状況です。

この世界を一体だれが先導しているというのでしょうか?でも現代社会のわたしたちが“顔も名前も明かさない実態を伴わない何か“に怯えているのだとしたら、その恐怖心こそが奴らのごちそうであり、怯えている現実こそ、まさにわたしたちの空想の産物です。

ですから恐れるよりも、解決策を見出すことこそが実態を伴っているわたしたち、つまり「善良そうな一般国民」であるわたしたちの使命だと思えます。

波動の世界から学んだこと

2003 年に波動研究の酒井宏祐先生に出会いました。波動の原理を学のだことで更に考え方がシフトしたのですが、それは何かというと“波動の世界は質量では無い”ということでした。

多いから良い、少ないからダメという唯物的価値観とは違いました。波動の世界では多いモノは減らし、少ないものは増やしてくれます。例えば、波動医学でホルモン療法をするのであれば、多すぎるホルモン物質は減らし、ホルモンの分泌が少なければ増やしてくれます。
つまりホルモンバランスを整えてくれるのが波動の原理なのです。
何事もバランスが大切です。
これこそが真理なのでしょう。

生まれてきた意味 生きている意味

ここまでを通して、わたしたち現代を生きる日本人に課せられたミッションとは何だったでしょうか。一言でいうと 「新たな価値の創造」でしょう。
今までの制度をこれからどのように変えていくことができるか。

今ある不都合を非ゼロサムゲームにするには?
つまり全員が得をする方法を模索すること、これこそがわたしたち日本人が作り出す未来なのです。
その発明により、世界に平和が訪れ地上が天国のようになるのです。
今現在は、実は道具は全部揃っていて、プロデュースできる人たちを待っています。
それはどこの誰なのでしょうか?
そうです。
こうしてわたしのメッセージを読んでくださっているあなたなのです。
「ユリイカ!」

使命の見つけ方

わたしたちのミッションは、「自分という生命体を思う存分生きること。」でもあります。何者かになろうとする必要は無く、大金を手にしなければ価値がないなんてこともありません。かっこ悪くても、思い通りにいかなくても、志し半ばで疲れ果てても、自分を思いっ切り、思う存分生きる。そのように生きることで、この地球からの恩恵に気づき、その生き様からこの世界のすべては愛でできていることを知ることになります。

人生に良し悪しはありません。ただシンプルに、自分という小説を 1 ページずつめくるように体験しているだけなのです。人生の光も闇も思う存分味わいましょう。ひたすら人生を味わうことで自分の中心を見つけることが人生の奥義でしょう。そうしてがむしゃらに生きた生き様を、次世代に踏襲し人類の更なる進化に貢献し、人類を愛の次元へと誘うことで社会に貢献することになるのです。

資本主義社会から 生命第一主義社会へ

わたしがこれから目指したい世界の在り方は、生命第一主義社会です。17 章で書いたようにすべての生命の尊厳を守ることが生命第一主義社会の根底にある理念です。

生命第一主義社会を構築するに際して、真っ先に手掛けたいと思っていることはエネルギー問題です。空間から無尽蔵にエネルギーを取り出せる技術は既に沢山あります。図面もあります。
ある日、熊本の友人が、わたしに言いました。
「吉野さん、フリーエネルギー装置の図面があるんだけど、装置を作るのに例えば一億円かかるとするでしょ?その一億円を数人の人が出して作ったとしても、そのフリーエネルギー装置は動かないんですよ。一番理想的な一億円は、一億人から一円ずつもらって作る一億円。そうじゃないとフリーエネルギー装置は作動しないんです。」なるほど。そういうことなのかと、改めて腑に落ちました。

つまり “人” なのです。
人のエネルギーが相当凄いパワーを持っているということなのですね。
実は沢山の人の思いが集まったら、何でも可能だということなのです。ですから、沢山の人が集まることで、エネルギーの世界からも、パラダイムシフトが起こせるようです。

この「集団の成せる仕組み」は、もしかしたら、日本ミツバチや渡り鳥たちや、海の小魚たちの持つ、自分たちの身を守ろうとする本能と同じ原理からきているのではないでしょうか?縄文時代のわたしたちの先祖も集団の集合意識によって、何万年もの平和な時代を生きていた
のではないかと思います。

お金持ちとか有名人とか、はたまた、学者だろうが大臣だろうが、ひとり単体で立ってエネルギー的に未来へと存続できるかというと、そうではありません。有名人とかお金を持っているという価値観はこの世だけのルールに基づいた、薄っぺらい価値観であり、人間の本質からはかけ離れている価値観であることは否めません。

この世での肩書きや資産の所有の観念を超えて、ひとりの人間として、崇高な精神性に基づく価値観によって、みんなと手をつないでお互いを守り合うことが出来るのか?ということがこれからの未来を生き抜くわたしたちに与えられたチャレンジに他なりません。

誰かより誰かが偉くて、誰かの指示に従わなければならない、ということはもう必要ありません。あなたを支配したい人たちからの指令はもはや意味をなさないのです。

わたしたち自身も、もはや自分の人生を誰かのせいにすることはできませんし、これからの未来をみんなで寄ってたかって、空想し妄想し三次元のレベルに創出することが大切です。すべては、瞬間ごとに、わたしたちの目の前に現れる現実の選択です。その、瞬間の自分自身による選択が未来を創っていきます。その選択の連続が未来なのです。

わたしたち一人一人が、自分の頭で考えて選択していくことが大切です。人の人生とは誰一人として同じ人が居ません。正解を知っている人も皆無です。正しさや、正義を求めても、時代や風土によって変わっていくのが分かります。そのように時代とともに変化する正義などは本物ではありません。

本物とは、時代を超えて存続する、普遍の原理に基づくものであり宇宙法ともいわれています。
この今の地球では、人の数だけ正解があるように、誰一人として他人の生き方に口出しする必要ないのです。ですから、自信をもって愛をたずさえて歩みを進めていきましょう。

2023 年になりました。もう何かを怖がることは、止めましょう。
見えない敵にいら立つことも無意味です。
断れないとか、言うことを聞かなければならないとか思い込んで、信頼がおけない人に無条件に従うことは、もう終わりにして良いのです。

ここで気を付けていただきたいことは、“低次の欲求のままにわがままを言うこと”と、“崇高な自己の欲求に付き従うこと”の違いを理解していただきたいということです。崇高な自己の欲求は“高い次元での望む願い”です。崇高な自己は、三次元的エゴを超越しているので願望が広く全体主義的です。低い自己の欲求は不平や不満や、自己欺瞞にあふれ排他的であり利己主義的です。崇高な自己の欲求には愛が溢れています。低い自己の欲求は高圧的で嫉妬に満ちています。
あなたなら、どちらの人と一緒にいたいですか?
そして、どちらの人になりたいですか?

未来は自分たちで創ろう

2023 年 2月、世間は、きな臭いにおいがプンプンしています。
政府は軍事費を増額したいといい、増税したがっています戦争を商売にしている人たちもいます。いつの時代も戦争は誰かが儲かっていて、誰かが仕掛けています。

子どものころ、ベトナム戦争が起こった時に不思議に思ったことがあります。「なぜ大人のくせに話し合わないのだろう。言葉が通じないとかそんな問題じゃないじゃん。」そうしていつの時代も純粋な国民は騙され、戦地へ向かいます。子どもが少ない時代だからと女の子さえも戦地へ行けとばかりに世相は煽っています。

子どもを戦地に送りたい母親はいません。もう、子どもたちがケンカをしたり殺しあったりすることを見たくないのです。お母さんたちは黙ってはいません。かつてはモンスターペアレンツと恐れられた時代の走りのママ世代がわたしたちです。権力なんて何のその、子どものためなら何でもするのがわたしたちお母さんパワーなのです。

でも戦わずして、勝たなければ、なんの意味もありません。武器でどこかの国と戦って仮に勝ったとしても、そんなのは本当の勝利ではありません。どんなに不条理な人生であろうとも、その人生の中から愛を見出すことで魂に立脚した自分自身を見つけ出すことこそが本当の勝利なのです。愛がすべてなのです。この世界の、愛を見つけ出すことこそが本当の人生のミッションです。

愛でこの人生に勝利しましょう。
世界中を愛で包みましょう。
“あい”という音は、漢字で表すと“天意”と書くことができます。
愛とは、天の意図です。

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